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2006年3月31日 (金)

閑話休題

1 桜玉吉だけじゃ、皆さんと話が合わない例も多いと思ったので、どんな話題がよいか聞いてみる事にしました。忌憚の無いご意見を賜りたく存じます。

←これは、お絵かき掲示板で描いたものです。

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2006年3月29日 (水)

御緩漫玉日記 第十二話「緋色御詠歌」

年の瀬が迫ったある日、玉吉が今年起こった事を執念深く後ろ向きにわざわざ思い出しながら語る十二話。ここから二巻。

玉吉は2004年を憎んでおり、その命がもう長くない事を悟り、集大成としてワースト5に入る苦々しい思い出を誌上でぶちまけるという、性根の腐った企画を思いつく。
しかし、思い出す事は大したことのない事ばかり。物覚えが悪くなったらしい。それでも段々思い出してくる玉吉、しかも今回はネーム無しで行き当たりばったりな展開に。そして、この苦々しい思いでは7つになる。しかし担当のオーバくんのキャラがあんまり立ってないせいで、いまいち盛り上がらない。こう云う時は、ちょりそとヒロポンだ。

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2006年3月28日 (火)

お絵かきしました

Tokuko1_5 トクコちゃんを描きました。私のサイトにあるお絵かき掲示板の機能を使って描いたのですけど、結構良い出来だと思います。ここではお絵かき掲示板で描かれた絵など発表していきたいと思います。アドバイスや批評などもお願いします。

お絵かき掲示板

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2006年3月26日 (日)

早坂未紀


早坂未紀さんは80年代前半、ろりこんぶーむのなかから突然姿を現した、作家群の中の一人です。折からのアニメブームの中、雑誌創刊の嵐を経て、その中にその時代の息吹を敏感に感じ取った作家達がマイナーながらも、一部の熱狂的マニアに支持され羽ばたいたと思うのです。

70年後半から、80年前半は、途轍もない熱気が、アニメ界、漫画界に吹き荒れマニア達(後のオタク)を揺籃していたのだと思われます。

この頃、アニメ界や漫画界に輩出された人々が今のアニメやマンガの製作者であり、日本の文化にまで高めたと云っても過言ではありません。この時期こそがオタク創生期であります。上の作品(早坂未紀の世界より引用)は早坂未紀さんの作品でして、今は買おうにも先ず無く、あっても凄まじい値段で買えません。300円で売った同人誌が、2万円になるなどその頃から凄かったのですが、「売るのに苦労したからもう限定品で良い」というような発言をしております。

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御緩漫玉日記 第十一話「メロコワ」

巻頭カラーでいきなりハードエロ! タモ吉の部屋に突然現れたトクコ、隣で繰り広げられる夜の営みから発せられる喘ぎ声、この状況から逃れたいタモ吉は姑息な選択肢を瞬間的に考える。

○資料のAVを再生しているのだが絵がでないと言い張る。
○「何も聞こえないよ。え!うっそーっ」と空耳であると言い張る。
○タモ吉の声帯模写であると言い張る。
○「やぁだ!も~~~(泣き)」と仕事場から逃走する。

しかしトクコはそれ程驚かないばかりか、「タモさん、これって生ですよね」と普段のエロトークレベルで話を繰り出す。
タモ吉も急に調子に乗りだし、「生だろうな、家族計画立てて夜のお勤めに励むヤクザってイメージはないな」と頼まれもしないのにコンドームの話を繰り広げる
トクコが恥ずかしがりながら、本当に声が隣で繰り広げられているのかを問うたまでの様な事いい。コンドームの着用などの事は問うてないと睨む。
するとタモ吉はやり場のない羞恥心から、「しあわせのそねみ」の時、伊豆の海を臨む岩場でダンスを舞う様な身のこなしで軽快に尿を垂れるヒロポンがエメラルドグリーンの背景にとけ込み、思わず「美しいと思った」と述べたあと、周りのカップルや団体客の視線が集中している事に気づき、尿を垂れさっぱりした感じで戻ってくるヒロポンと
「他人の振りをするしかなかった」と後に誌上で自らを描いている。その時と同じ表情をした。

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2006年3月25日 (土)

御緩漫玉日記 第十話「トニックシャンプー&エメロン」

いきなり、トクコちゃん側の視点で物語が始まる。今までないパターンだ。
日記マンガなのだからタモ吉視点じゃないと成り立たない。
この辺りは分析不足なので妄想的叙情詩で綴る新境地かと思うことにした。
今回もだが、現実なのか虚構なのかはっきり見えない。いや、それは見せないのが本来なのだから、良い事なのかも知れない。
ぎくしゃくしていたふたりが、前回迄と比べるとスムーズな関係になり、女としてより仕事仲間として認められたのではないか。(実際いそんな事はないが)

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2006年3月23日 (木)

御緩漫玉日記 第九話「松林のあった街」

今回はトクコ編だが、ここまで読んでやっとこの話の面白さがわかってきた。
この話を私はこれまで、玉吉がタモ吉となって、過去を現在進行形のように描く日記風マンガであり、創作性が多分にあると思っていたが、実は未だにこれは唯一無二の純粋な日記マンガであり、娯楽作品である事を理解した。
玉吉の心の岸辺を側面から描く現在進行形のマンガであり、常に限界に挑む極めて野心的な話なのである。
だから全くのバーチャルやリアルといった事はどうでも良く、創作は含んでいようが、玉吉が真価を発揮した「日常を赤裸々に、ある種晒しながら娯楽として完成させる」方法論からは変わらず、この手法をを取った時から現実を大いに外れる事はない。これはどんな漫画家もいえる。表現とは何かを絞り出すような所は常にある。
玉吉ならなおのことだ。現実とマンガの間を錯綜する登場人物、最早現実さえ巻き込みどちらが本当なのかわからなくなる。まるで胡蝶の夢のようである。

だから、日常が退屈なものとなり、マンガとして切り取れなくなった時、玉吉は自己否定にはいるのである。
今までの手法を何時でも嫌っている。それによって誰も到達出来なかった頂きに登り詰めていった。(誰も登らないような所へだが)
一種独特の表現手法をいつも模作しているようで、画法からシナリオ作法からキャラデザインまで一作毎にくるくる変わる。
そういう表現者足ろうとするのだ。今は内向的で後ろ向きな過去話を内証によって紡ぎ出している。
トクコという人物と一児の父であるタモ吉の織りなすロマンスの影には夫婦の葛藤が混入し、己を批判している。
しかも、トクコ編は10年くらい前の事のようだが、これは現在の玉吉の心情をリアルに描いてる。これも内証の結果得られたのだろう。内向的に後ろ向きに、過去の自分への憧憬と怨嗟を描きつつ、おっとりエロ&ロマンスを描こうと、鬱と戦いながら悪戦苦闘している玉吉は凄い。

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2006年3月22日 (水)

御緩漫玉日記 第八話「雨と蟲と蒼く長い顎と黄緑の私」

今回も漫玉編。
前回のDVD事件を描いて直ぐに玉吉初体験の「野エロ」相手からの電話が掛かったと云う。
なぜこの様な展開なのか?
今更ながら、DVD如きで必死だった自分を恥、己の否定からはいるパターンだ。
最早この様な芸風なのだ。これは御緩においては、枕に過ぎない。
これによって読者を玉吉の云う「不思議感覚」に引きずり込む。

締め切りを前にした玉吉は、幻覚や幻聴を覚える。完全に壊れている事を周知させる為の導入部だったのだ。
鬱病漫画家の共同幻想に読者を参加させるのであり、必要な手続きであったのかも知れない。
残された時間の少ない玉吉を小さな行列が「て」「て」「て」と応援する。
玉吉は「これは幻覚だとわかっているので気にしない」と云って無視を決め込むが、「て」「て」「て」の声がやたらと耳に付く。
これがクーラーからの水漏れだと気付かないのであった。結果原稿がこの水にやられて、「三枚ポア」などと考えたりする。

またこの回では、ちょりそがいい味を出している。
ちょりそはどんなときでも冷静沈着だ。

また徹夜続きのふたりは、同時に寝入ってしまい、気づくとアゴルさんの来る時間が早まっている。
このとき玉吉は、御緩のシンボルキャラである「ムカデ」を無意識のうちに描いていた。
手を付けられ擬人化したこのムカデはとても可愛く面白い。

このあと冒頭にでた野エロの彼女の思い出にタイムスリップして、「不思議気分」を満喫している玉吉だった。

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2006年3月21日 (火)

ぬいぐるみ殺人事件

この作品は、80年代を代表するニューウェーブ作家人による連作マンガであります。この画像をクリックすると「くだん書店」さんのページに飛びます。そこは古い少女マンガなどが載っている神保町裏通り日記というのがありまして、2005年12月のログでこの画像を発見しました。これは許可を得て載せているので、
そこの画像をブログで使いたい場合は、一言云っておきましょう。

シリアスな雰囲気になってますが、絵はほんわかしてます。
萌える絵ですよね。読んだことがないので内容は知らないのですが(笑)

執筆者の一覧を載せておきます。

「第1回」[文]新井素子、[画]ふくやまけいこ
「第2回」とり・みき
「第3回」吾妻ひでお
「第4回」伊東愛子
「第5回」中山星香
「第6回」高橋葉介
「第7回」かがみあきら(2連8分音符はない)
「第8回」早坂未紀
「第9回」いづぶちゆたか
「第10回」水縞とおる
「第11回」ゆうきまさみ
「第12回」魔夜峰央
「第13回」沢田翔
「第14回」粉味
「第15回」豊島U作
「第16回」[文]火浦功、[画]愛田真夕美
「最終回」しりあがり寿
「番外編」KUMAKO

これは「漫画の手帖」に1985年から掲載されたようです。どうも同人誌らしいですが、これは絶対手に入らないだろうなぁ。上の本は「漫画の手帖臨時増刊号」として刊行されたそうです。ヤフーオークションにでたらとんでも無い値段になるでしょうね。

森薫がふくやま先生の後継者と目されていたらしいのですが、「エマ」読んだことがないからねー、わからない。
最近の森薫は竹宮くさくなったと云われてました。

あれ!?第12回の魔夜峰央って「パタリロ」の作者ですね?

ぬいぐるみ殺人事件

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2006年3月19日 (日)

ウィニーメイの夢

春の魔術 Book 春の魔術

著者:田中 芳樹
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ふくやまけいこさんについて書きたいと思います。私は絵柄が何ともいえず好きですね。
上のアフィリエイトは取り敢えず絵柄の参考にと貼り付けました。
彼女は初期のコミケットなどに参加していた模様です。絵の原点は当時人気だった「キャプテン翼」ですね。
私が、彼女の絵柄をまねてかいたら弟に「キャプテン翼」の岬だと云われた事があります。
あの目と目の間隔は「キャプテン翼」でよくみられた絵柄でした。
今はそういう絵の方が多いのですが。
その様な意味で云えば、萌絵の元祖といっても良いかも知れない

彼女は既に結婚し、子供もいらっしゃるお母さんです。
結構特殊漫画家の永野のりこ先生の「みすてないでデイジー」の三巻のあとがきをみますとふくやまけいこさんの寄稿がみられます。
あの文章を読みますと女性らしいたおやかさと優しさに満ちていますね。

彼女の作品で一番嵌ったのが「福袋」の中に掲載されていた「ウィニーメイの夢」です。
実験中の事故で人格が入れ替わってしまうというよくあるお話なんですが、ウィニーメイの人格は夢の中で消え去りそうになります。
体はチームの中心メンバーである博士のものとなり、ウィニーメイが消え去った事を心配していた友人が、
中心区画で指示しているウィニーメイを見つけます。
ウィニーメイは元に戻るんですが、博士は事故で死んじゃってるんですね。
去り際の博士が言い残した言葉が「前髪上げて」なんです。
ウィニーメイはそれまで決して、前向きな女の子ではありませんでしたが、その言葉で前向きに生きていこうと思うのです。

*この後わかったのですが、博士は元々死んでいて生き返らせる実験の際に起こった事故で、ウィニーメイに魂が乗り移ったと云う事です。

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御緩漫玉日記 第七話「Dumped DVD Meets the Big O」

またもや伝統の編集いじりと楽屋落ち、とはいえこれも玉吉の日常なのだから仕方ない。
編集者達と少年の如き莫迦やって楽しかった頃の感じもある。
いまや玉吉は大人の後ろ向き昔話でエロとロマンスを自問自答的探求する世捨て人なんだから。

内容はというと、奥村が解散したエロ関係の編集部から大量のDVDを力で全て奪い去ったという野生の王国がテーマ。
弱肉強食の世界では、大場などハイエナかリカオンの如き弱小。知恵で生き抜くしかないと玉吉に諭され。
いざDVDの恩恵に肖ろうと行動を起こす。
まず、ビーム販促四コまで奥村の不正を告発したうえで、反省を促し皆でDVDの恩恵に与ろうというものだ。
しかし、奥村はその四コマはみてなかった。そこで、DVDをくれと直接云うが「ムリ」の一言で片づけられた。
嫌がおうにも、白熱する玉吉、対奥村との血で血を洗うかのような抗争に発展するかに思われたが

あとはやっぱりエロ、玉吉の幼少期友人宅でみたブルーフィルム、中学時代のエロ回し読み体験、
エロ兄さんの裏本放出事件などを扱っている。

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ブロイラーおやじFX

ブロイラーおやじFX Book ブロイラーおやじFX

著者:桜 玉吉
販売元:秋田書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

玉吉の恥ずべき過去と記録されるチンポ尽くしのお下劣マンガ。現在新書は購入困難。
O村との初のタッグで作られた記念碑的作品。
お色気要素よりチンポ要素に勝る抜けないマンガである。このチンポは後半意志を持ち始めセリフをしゃべったりする。
貧乏宗教家の回が笑える。だが後年奥村も云うように書き下ろし実録マンガの方が面白かったのが敗因だとの事である。

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2006年3月18日 (土)

御緩漫玉日記 第六話「静寂主義」

トクコ編はひとまず休みで、漫玉編の伊豆話である。
和紙に墨で書かれた、玉吉独特の表現が諸行無常表す。
得も言われぬ虚無感は、玉吉の精神状態とリンクしているのだろうか。
内容は伊豆で過ごした一日を切り取ったものだ。
登場するのは唯一人間では郵便や、あとはウグイス、テントウ虫、ムカデ、カメムシ、リスだ。
こんな凄まじいマンガは初めてだ。
このマンガでの主役はムカデだ。全く前代未聞であろう。
ムカデが何処から入ってくるのか、悩み恐れる玉吉。
擬人化されたムカデが紙面狭しと大活躍である。
つかの間の休日を、伊豆の大自然に身を委ねる玉吉がそこにいる。
そして睡眠剤を飲み床につく玉吉。

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御緩漫玉日記 第五話「男の暴走種列車」

この話は、前半のトクコに対するタモ吉の揺れ動く心情と、妻の能動的な仕事ぶりに対するコンプレックス、
子供の頃みていた男の仕事ぶりと、母の母性に対するノスタルジックな思い。
そして、種村の後先考えない暴走種列車ぶりからなる、複雑な構成の漫画だ。
基本的には、タモ吉が心寄せるトクコ、タモ吉の客観性が暴走種列車の如く自分に正直に生きる種村との対比。
家庭の不和と、子供の頃のタモ吉家で鼻歌を唄う母の背中と同じく鼻歌を歌うトクコに惹かれる心情。
白瀬が仕事とプライベートを分けるように忠告するも、暴走種列車に成れればどんなに楽かと憧憬の念に囚われる。
白瀬はそれってトクコを押し倒す力が欲しいっていってるのと同じだと指摘する。
種村だって仕事と女は別にしているという。
なのにタモ吉は、なし崩し的に深みに嵌っていくのだろうか?

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2006年3月14日 (火)

御緩漫玉日記 第四話「トクコのトク」

妄想的叙情詩巨編第二話。前回意味ありげな相談を持ち込まれてとまどうタモ吉のエロい視線がトクコの体をなめ回す。艶やかなトクコの表情と緊迫した場面に堪えられなくなったタモ吉は、ミカンを食べながら話をしようと場をはずす。しかしタモ吉の脳内では目眩く妄想が渦巻いていた。

だが、トクコから切り出された話は自分の彼氏との話で、タモ吉の肥大した妄想はそこで粉砕されてしまう。またもや現実世界でのぎくしゃくする夫婦の話題が挿入される。擦れ違う夫婦、合わない意見、意固地なタモ吉、そして仕事場に出かけ目撃するトクコの彼氏。またもや妄想が駆けめぐるオヤジ。

玉吉はトクコの彼をなるべく無視しているように思われる。しかし読者からすると彼も気になる、なぜ夕方タモ吉が資料を買いに出かけた時、電柱の陰に彼は隠れていたのだろう? 若いふたりの恋物語の一片を見た気がする。テーマであるおっとりエロなのだ。この話にお笑いの要素は皆無である。

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2006年3月13日 (月)

固定ハンドルならば?

「名声の口座」としての「実名」(2)

竹熊先生のブログを読みまして、「名声の口座」としての実名があるというお話をされて居られました。実名の及ぼす範囲は匿名としてのそれに比べれば、遥に広いだろうと謂う事です。作家の方々は自己主張もあり、書いたものへの評価が必要ですし、実名なのは当然でしょう。同じように固有のペンネームでもかなりの流動性は持ち得ると考えます。2ちゃんで申しますと悪名であろうと名声であろうと匿名の発言と比べましても影響は強く残ります。

私も2ちゃんで固定ハンドルとして発言していた事もあり、広範に影響を及ぼした事がございます。それはそれで痛快な事でしたが、当然リスクも大きく失言があれば評価は瞬く間に下がります。竹熊先生も仰っていたように多くのギャラリーが参加可能な状態で待機しております。常に冷静な態度で挑まないと足下をすくわれます。従って、なるべくならこの様なブログのような場所の方が冷静に客観性を保っていられるのではないかと思った次第です。

しかし、2ちゃんのような場でも客観的で冷静な対応が出来れば良いのですけどね。私にはかなり無理があったようで、今思い出すと顔から火が出る思いです。

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御緩漫玉日記 第三話「川辺の暮らし」

ついに、玉吉が日記の形式を敢えて取らなかった「トクコ編」となる。
玉吉はタモ吉、ヒロポンは白瀬、O村は種村、ちょりそはM君、M君はちょりその本名牧野伸康のイニシャルとおもわれる。
なぜか、今までの作風から離れ鼻提灯も、ちょりその茸もなく、白瀬はおふざけではない、リアルタッチとなっており。
新しい創作日記風マンガなのかなと思わせつつ、夫婦の内情を暴露するかのような展開もあり楽しめる(悪趣味だが)

お話は、ミゲー君と思わしき、アシスタントの作業が遅い事に担当編集の白瀬は焦りを感じ
腕の立つ専門学校生の牛田トクコさんを紹介することから「トクコ編」が始まる。
ついに、ぱそみちゃんに逃げられて壊れたのか玉吉!?
メガネ、童顔、巨乳とやはり、エロスを意識したような設定。艶っぽいトクコの表情に悶々とするタモ吉。
仕事上の付き合いだと忘れて、私情に突き動かされてしまうのか?
そして意味深げな発言をトクコがしたところで(つづく)
なんだかよくわからない展開に眩暈すら覚える。

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御緩漫玉日記 第二話「気配」

伊豆の家購入の後編。銀行とのやり取りが中心のお話。金利が安いと玉吉の選んだ銀行は
次々と注文を突きつけてくる。それに翻弄される玉吉が描かれ、得も言われぬ絶妙な味わいを醸し出す。
ぱそみ嬢は玉吉との同居を決意し(調布の玉屋)、
越してくるが1年後別居(何があったか不明)玉吉は一人伊豆の家で元の住人に思いを馳せる(ここでもまた無常観)
味わいのある前後編であった。

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御緩漫玉日記 第一話「緑の実」

玉吉が伊豆の家を購入するまでを描いた前編、伊豆に通いづめてついに運命の物件との出会いを果たす。
勿論即金での購入は出来ない。頼るのは銀行だ。その銀行とのやり取りやいつも哀しそうな顔の不動産屋氏のキャラが生きる、
御玉の第一話

御緩漫玉日記第二巻の内容をふまえて読むと
また味わい深い感慨をおぼえる。
御緩漫玉日記に見て取れる、作者の心情を描く上で欠かせない
存在がある。それが作者の身近な女性の存在なのだ。
伊豆での生活を決意した本作(第一話)では、不動産屋、銀行員といった
多彩なキャラクターが続々登場する。そんな状況に翻弄される
作者の心情を、ぱそみ嬢が力強くフォローしている。
最後のコマに描かれる、ぱそみ嬢の表情が味わい深い作品。

私はあの路線で続けて欲しかったのだが、退っ引きならない状況で頓挫したのかも知れない。
真に残念だ。
ぱそみ嬢と玉吉、編集者や友人、親戚など、
映画うる星やつら「ビューティフルドリーマー」の何時迄もみんなと楽しんでいたいって世界であればなと

今回は、銀行に翻弄され混乱する玉吉が様々な事象が連動し始めている予感を匂わせて終わる。
そこで、最後のコマ(正確には最後のコマは不動産屋のM氏)のぱそみ嬢が味わい深くも不安をかき立てる始動を表している。

単純なギャグマンガでは最早無い。わびさびのような無常観が作品全体を包む。

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2006年3月12日 (日)

玉吉マンガのリアリティ

おっとりエロは手段に過ぎず、黄色い変なのが絡む事で、日常世界が歪んでゆく感覚が面白いのであって
飽くまで、玉吉は妬み嫉み僻む鬱持ち、その離婚歴のあるオヤジの自堕落な日常と悲哀をネタにした、
ひねた愉快さを読者に伝える業の深い表現者だ。

御緩漫玉日記 (1) Book 御緩漫玉日記 (1)

著者:桜 玉吉
販売元:エンターブレイン
Amazon.co.jpで詳細を確認する

リアリティーは、作品世界の虚構性にどれだけの真実みを与えるかで醸される空気の事だろう。
玉吉のマンガには玉吉ならではのリアリティはある、黄色い顔のオヤジと若い女性という組み合わせであり得る展開ではこれ以上ないくらい。私は「リアルだ」と思っている。

普段の玉吉の言動から玉吉が黄色い仮面を脱ぐことはないと考える。野澤朗になって、面白いと本人も思っていまい。確かにヒロポンは玉吉のエロを批判していたように見えるが、あれはマンガないでの話。実際は、玉吉が己に謂っていたのだとかんがえる。

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桜玉吉とは?

玉吉はある世代にとってとてもメジャーだけど、メインフレームの潮流には成りえなかった異形の漫画家だな。
しかし近年希にみる、正統漫画家だ。

ある特殊な経験をした事のない初めての世代といってよく、後にしらけ世代と評される。
常に周りはサブカルチャーに溢れ、オタクとしての第一世代の担い手の世代だ。
その中玉吉は、メインフレームからはみ出した異形の正統漫画家なんだと評しておく。

オタクは常にパロディやオマージュの繰り返し・読替・組み替えでしか表現者足りえない。
それは、その経験がテレビなどを通じて獲得した創作物からでしかないからだ。
戦中・戦後の人間の持つ生の体験が希薄なのである。

私の世代など、更にレベルの低下した、コレクター的、オタク第二世代といわれ。
オタク第一世代の創作物で育ってきた。更に生の経験が薄い。

だが玉吉は、オタク的文法で描かない作家だ。玉吉のマンガは古のトキワ荘メンバーのように
何時でも新しいように思うのだ。

アスキー黎明期から描いてきた作家として、編集者の勃興の混乱とエネルギーが玉吉の揺籃期にとって
多大な影響を与え、新しい地平を開いたと感じている。

デストローイ

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